2012年9月30日日曜日

メキシコBBQ~テオティワカン遺跡~

メキシコには古くから多くの文明が花開いていました。チチェンイツァー遺跡、ウシャマル遺跡、カラクルム遺跡、パレンケ遺跡など、多くの世界遺産があります。

今回私は、テオティワカン遺跡を訪れました。
メキシコシティーから50km北にあるこの遺跡は、紀元前2世紀頃建造されたメキシコ最大の宗教都市国家でした。

この遺跡に到着し、チケットを購入して、ゲートをくぐると、いきなりのテオティワカン遺跡でした。驚く準備もできていませんでしたが、「なんじゃこれ!!」としっかり驚かさせていただきました。
テオティワカンを南北に貫く死者の道からの景色。
奥に見えるのが「月のピラミッド」
死者の道の脇にあった遺跡。
住居跡?
いきなり、こんなでっかい規模の遺跡が目に飛び込んでくると、誰でも驚くと思います。でも、この驚きは序章にすぎませんでした。

少し歩いて見えてきたのが世界有数のスケールを誇る大神殿「太陽のピラミッド」。
太陽のピラミッド。
高さ65m、底辺の一辺が225mの巨大な神殿。テオティワカンの中では最大の建築物で、世界で3番目の大きさを誇ります。

「世界で何番目。」とかのフレーズにめっぽう弱い私は、太陽のピラミッドとツーショット。
太陽のピラミッドと私。
太陽のピラミッドは、宗教儀礼のために建造されたものらしいです。全部で248段ある階段を上ると絶景が待っていました。
太陽のピラミッド頂上からの景色。
写真の中央を通るのが「死者の道」。その奥にあるのが月のピラミッド。頂上で休憩してから、月のピラミッド目指して再び歩き始めました。

途中でみかけた、動物の壁画。
2000年も前の絵が、今もこのように残っていることに感動しました。
月のピラミッド。
そして、とうとう到着、「月のピラミッド」。高さ42m、底辺150m×130m。太陽のピラミッドよりは
 規模は小さいが、ピラミッド前の広場の大きさからすると重要度は、月のピラミッドのほうが高く、大きさ宗教儀礼はここで行われていたそうです。確かに、月のピラミッドのほうが厳かな感じがしました。

月のピラミッドからの景色。
何より感動したのが、月のピラミッドからのテオティワカンの景色。こんなものを2000年まえの人が建造したんです。また、この都市に、20万人以上の人が本当に住んでいたんです。そんなことを考えると感動して、しばらく月のピラミッドの上でこの景色に酔ってしまいました。

何時間見てもこの景色は飽きなかったのですが、日差しのきつさがハンパなく、やむ終えず降りました。そして次の遺跡も大感動。ケツアルパパロトルの宮殿。
この遺跡、半地下なんです。

「ホラ貝を吹く羽毛のあるジャガーの図」
この半地下遺跡のすごいのは、保存状態の良さです。2000年前の遺跡が、こんなにも鮮やかな色のまま残っていることに大感動でした。

テオティワカン遺跡を探訪して感じたことは、「人間の底力」と「宗教の影響力」です。2000年前の人が、何百年という年月をかけて、機械無しでこの巨大な国家を建築したんです。人間ってすごすぎます。また、その人間を動かしたのは「宗教」なんです。なぜ、ピラミッドを建てる必要があるのか疑問に思っていましたが、それは「宗教行事」のためだったんです。宗教が人間に与える影響力と、それによって動いた人間によって作られたテオティワカン遺跡。ほんますごい話やと思います。

テオティワカン、いろいろご馳走様です。


2012年9月29日土曜日

メキシコBBQ~メキシコの独立記念日編~

今回のメキシコ一人旅では二つのテーマをもとに旅の計画をたてました。一つは「テキーラ」、もう一つは「メキシコ独立」です。9月16日は「メキシコ独立記念日」です。9月15日の夜はお祭り、16日には軍事パレードが毎年行われます。せっかくなので、メキシコ独立の経緯を理解してから、独立記念の行事に参加したいと思い、独立記念日に合わせて、旅の日程と行程を考えました。

まず、最初に訪れたのは、ドローレスイダルゴサンミゲルデアジェンテという町です。ドローレスイダルゴにある教会で、1810年の9月16日にイダルゴという僧侶が、大観衆の前で、当時メキシコを侵略していたスペインの批判とその体制から独立を叫んだそうです。
ドローレスイダルゴの教会。
グアダラハラという町のハリスコ州庁舎にある壁画。
オロスコ作「立ち上がる僧侶イダルゴ」
このイダルゴの叫びをきっかけにメキシコ独立戦争が勃発しました。イダルゴ自身は、他の指導者と共に1811年に処刑されてしまい、その首はアロンディガデグナディーダスという建物の四方にさらされていたそうです。
グアナファトという町にあるアロンディガデグアナディーダス。
イダルゴは処刑されましたが、その魂は他の指導者にも受け継がれました。数々の激戦を得て、最終的には、1821年にスペイン軍の司令官の協力を得て独立は達成されました。

メキシコの多くの都市には、その独立の過程で活躍したメキシコ独立史の英雄の家や像が数多くありました。
独立戦争の英雄「ピピラ像」。

サンミゲルアジェンデの町並み。
独立戦争の英雄アジェンデの生家が右の灰色の建物。
英雄の名前が町の名前になっている。
私は、独立の経過をある程度理解した後、メキシコの首都メキシコシティーにやってきました。9月16日メキシコ独立記念日の行事に参加するためです。

15日の深夜23時に現職大統領が国立宮殿のバルコニーに立ち、1810年にイダルゴが語ったのと同じように「メキシコ万歳、独立万歳!」と叫び、その場に集まった数万の市民がこれに唱和します。もちろん私も「メキシコ万歳!」と大声で叫びました。大雨の中でしたが、すごい迫力と団結力に大感動してしまいました。その様子を動画でどうぞ。


16日には、軍事パレードが行われました。数万人の軍隊と、数千台の戦車や飛行機などがメキシコシティーをパレードしました。これも言葉では伝えきれないので、動画で。


日本には終戦記念日はありますが、独立記念日はありません。そのため、その日にメキシコ人はどんなことを思い、メキシコはどんな状況になるのかとても興味がありました。
その過程を肌で感じて思ったことは、メキシコにとって9月16日は「国民の団結力を高める日」ということです。独立のために戦った過去の人々を称え、そして、愛国心を高めることで、メキシコ人全体の絆を強くする日なんです。

独立記念日に向けて何週間も前からメキシコは独立記念モード。メキシコ人のテンションが徐々に上がっていっているのがヒシヒシと伝わってきました。そして、そのムードが15日の晩、16日とピークに達します。全員が同じ方向に向かって、同じものを称えている時のパワーは、想像を大きく上回りました。独立記念日の人を団結させる力、それによってパワー全開のメキシコ人。

メキシコ独立記念日はすごい日でした。

2012年9月28日金曜日

メキシコBBQ~テキーラ編~

本日は、メキシコのお酒「テキーラ」について書きます。

「メキシコ旅行で一番楽しかったことは?」と、エクアドル人によく質問されます。そして、私は決まって「テキーラ工場見学」と答えます。ほんとうにいい経験でした。

テキーラというお酒は、メキシコ、ハリスコ州のテキーラ村で作られた酒のことを指します。テキーラという、いかにも強そうな名前は地名だったんです。
テキーラ土産屋
テキーラの街に入ると、テキーラの土産屋が数多くならんでました。
テキーラ村では、人口の9割以上がなんらかの形でテキーラに関わっています。街全体が「テキーラ」でした。
テキーラ地方の風景。
テキーラ村に入ると、こんな感じの風景が広がっていました。アロエの葉のような植物が、星の数ほど栽培されていました。この植物の名前はAGAVE(アガベ)。これがテキーラの原料です。


アガベの収穫風景。
地中に埋まっている部分を収穫し、工場に出荷します。 
オーブンで加熱されたアガベ。
この松ぼっくりのようなものがテキーラの原料です。このアガベ40kg~70kg位あるんです。ここまでの大きさに育てるのに、6年から9年かかるそうです。70kgのアガベから、70リットルのテキーラが作れます。

加熱後のアガベ。
オーブンされたアガベはこんな感じ。このアガベを試食させてもらいました。アガベは25パーセントが糖分なので、とても甘くおいしかったです。写真のように、ちぎって食べます。

テキーラ生産工程①
この大きな樽の中身は、アガベから搾り取られた液体です。徐々に濾過し、不純物を排除します。その後、発酵させアルコールにしていきます。

テキーラ生産工程②
生産工程①でアルコールとなった液体を蒸留させ、アルコール濃度100%に近いテキーラが完成。

右から、完成後1月経過、12ヶ月経過、3年経過、5年経過。
年月が経つにつれ、徐々に色が褐色がかります。

テキーラ工場見学では、各工程でテキーラが提供されるという、危険なツアーでした。
酒が弱い私ですが、テキーラマジックにかかり、飲みまくることができました。

テキーラ試飲の様子。
昔は、写真のような牛の角がテキーラボトルだったそうです。
テキーラツアー終盤、何十種類テキーラに囲まれテンション上がる酔っ払い。
さすがテキーラ村のテキーラ工場。テキーラの種類が半端ない。限界までテキーラを飲み続けました結果、テキーラ工場見学終了後の記憶があまりありません。

多くの人のテキーラのイメージは、「喉が焼けるようなアルコール分100%近い、強い酒」だと思います。しかし、テキーラ人に言わせると、それは間違った解釈だそうです。私たちの知る喉が焼けるテキーラは、蒸留された直後のテキーラなんです。本来は、そこから水を混ぜたり、果汁を混ぜたり、さらに発酵させたりした、おいしいお酒が「本当のテキーラ」なんです。
このボトル、すべてテキーラ。
全てのテキーラは口あたりよく、上品な味わいでした。大学時代、先輩に飲まされたテキーラとは別物でした。アイス屋にはテキーラアイスも。
テキーラのアイス。
酔っぱらっていたため、味を覚えていません。

最後に、テキーラの歴史について少し触れます。

スパイン人がメキシコを侵略する数百年前から、テキーラ村ではテキーラを作っていました。それはお祭り用の飲み物としてです。その後、スペイン人がメキシコに侵入してきた際、スペイン人が「蒸留」という方法を教え、テキーラの味は格別に向上しました。そんな歴史から生まれた「テキーラ」。今では世界中の人が知るアルコールです。今では数多くの種類のテキーラが世界中に出荷されています。そして、その多くが「おいしいテキーラ」なんです。


2012年9月27日木曜日

メキシコBBQ① ~食べ物編~

本日から、メキシコ旅行についてブログを書こうと思います。名前も期間限定「メキシコBBQ」です。

お恥ずかしい話ですが、今回の旅行が人生で初めての海外旅行でした。そのため、飛行機のチケットを取るにしても大変。しかもスペイン語。正直、メキシコ旅行前に疲れてしまいました。しかも、行きの飛行場で怪しいアジア人扱いされ、1時間の尋問。しかも最後の質問は「なぜ、スペイン語話せるんだ?」。最後に持ってくる質問ではありません。
そんなこんだで到着したメキシコ。9月7日~18日まで滞在しました。伝えたいことは尽きないので、6つの内容にしぼってブログをつくっていこうと思います。

1日目「食べ物編」
2日目「テキーラ編」
3日目「メキシコ独立」
4日目「ティオティワカン遺跡編」
5日目「教会編」
最終日「メキシコの日本編」

本日は「食べ物編」
メキシコを旅行してわかったことは「メキシコは食の国」ということです。紹介したい食べ物がありすぎます。厳選して紹介したいと思います。

トウモロコシとクリームと唐辛子スパイスを混ぜて食べるスナック。
メキシコは、スパイスの豊富なお国柄だけに、「これにも唐辛子?」と突っ込みを入れた回数は計り知れません。リンゴに唐辛子、パンに唐辛子、マンゴーにも唐辛子でした。 
唐辛子ソース。
レストランに行くと、必ず出てくるのが唐辛子ソース。スパイスの国だけに「辛さ」が半端ないと思っていましたが、大間違い。メキシコの唐辛子ソースは辛くないんです。おいしいんです。何が入っているのかはわかりませんが、奥深い味わいで食欲をそそります。おまりに気に入ってしまったので、メキシコの唐辛子ソースの瓶を4本も買ってしまいました。もちろん自分用です。
TORTA(トルタ)
コッペパンを上下半分に切り分け、中に具を挟んだサンドイッチのようなもの。メキシコにはトルタ屋がたくさんあり、ファーストフードとして親しまれています。このトルタの中身は多種多様。例えば、牛肉に、数種類のスパイス。ほんまにおしかった。 

TORTA AHOGADA(トルタアオガダ)
さすがメキシコ。唐辛子ソースにたっぷり浸かったTORTA。これはハリスコ州の名物料理。見た目ほど辛くなく、おいしいんです。メキシコのスパイス技術おそるべし。
TACOS(タコス)
メキシコ料理の定番タコス。あまりに気に入ってしまった結果、11日間の滞在中、30枚以上のタコスを食べてしまいました。
タコスとは、トウモロコシで作った生地に牛肉、豚肉、鶏肉、内臓などの具を挟んで食べるファーストフード。
生地を鉄板の上で焼きます。
タコスの具。
タコス屋の店頭には、でっかい鍋にいろいろな肉や内臓がおいしそうに調理されています。 
タコス屋にあるスパイス。
自分の好みのタコスを頼んで、好みのスパイスをたっぷりかけて、口にほうばります。
タコス完成系。
手軽に頼めて、好きなソースをかけて食べるタコスは、楽しくおいしい食べ物でした。


POZOLE(ボソーレ)
豚の頭でとった濃厚なスープに野菜や肉が入った料理。

POLLO EN MOLE(ポジョエンモーレ)
唐辛子、木の実、チョコレートなどを使ったモーレソースで鶏肉を味わう料理。「チョコレートの???」と思ったと思います。私も思いました。けど、これが新感覚のソースで、肉とよく合うのです。

メキシコ料理、勝手にランキング。

3位、トルタアオガダ。味わい深いソースにつかったトルタは幸せ者です。

2位、ポジョエンモーレ。チョコと唐辛子が使われたモーレソースを考えたメキシコ人は天才です。

1位、タコス。頼んで楽しい、食べて楽しいタコス。これはBBQに応用できます。例えば、生地とスパイスを家から持ってきて、生地と中身の具をBBQグリルの上で焼く。その後、各自好みのスパイスをかけて食べる。想像するだけで楽しそう、おいしそう。

2012年9月26日水曜日

エクアドルの英雄、ジェフェルソン・ペレス

先週、11日間のメキシコ旅行から無傷で帰ってきました。ガラパゴス旅行の時と同様、明日からメキシコ旅行日記を数日間続けることになると思います。覚悟していてください。

メキシコの旅報告する前に、前回のブログで話題にあがったジェフェルソンペレスについて、今日は書きます。

ジェフェルソンペレス
エクアドルの英雄。
彼がなぜ英雄かと言うと、エクアドル史上唯一オリンピックで金メダルを獲得した人間だからです。
1996年アトランタオリンピックで金メダル、2008年北京オリンピックで銀メダル、世界陸上でも3個の金メダルと1個の銀メダルを獲得。その他、数多くの国際大会でもメダルを獲得。競歩界のカリスマランナーでした。

2008年の北京オリンピックで銀メダルを獲得した後、引退しましたが、現在も彼はエクアドル人の誇りです。

彼が英雄たる由縁は、選手としての成績だけではありません。
貧しい家庭に生まれ、子どもの頃から家計を助けるために道端で新聞を売っていたそうです。そんな彼がエクアドルの英雄になったという成り上がりヒストリーがエクアドル人に大きな希望を与えています。また、選手引退後は、自分の人生の経験を生かし、慈善団体を立ち上げ貧しい子供たちの未来のために働いているということも多くの人の共感を得ています。

そんな誰もが憧れるジェフェルソンペレスに、クエンカで行われたレースの終了後、会話をすることができました。
中央にいるのが英雄。その右は凡人。
私の憧れでもあったジェフェルソンペレスと話して、さらに彼を尊敬することができました。

まず、一つは家族を大切にしていること。母を連れてその会場に足を運び、母に対するやさしい対応が人の良さを表していました。

二つ目は、小さな子供が「写真をとってください」と頼んできた時の対応がとても親切。「いいぞ、もちろんいっしょに写ろう!」といって子どもを抱え上げて、その子の親が持つカメラに視線を合わせました。その時の親の嬉しそうな顔は忘れられません。

三つ目は、とても謙虚なこと。私たち日本人ボランティアと会話する際、同じ目線でとても感じよく話をしてくれました。初めは「エクアドルの英雄がなぜにこんなに謙虚なの?」と思いましたが、それがジェフェルソンペレスなんです。

ジェフェルソンペレスはすごい人間でした。彼に会って話をできたことも貴重な経験ですが、彼の人間性のすばらしさを肌で感じられたことが自分の人生にとって、とても大きな財産になるんだと思います。
そして、日本に帰国したら私の学級の生徒はかならずジェフェルソンペレスの話を聞かされることになるんだと思います。

2012年9月7日金曜日

クエンカの10KMレース

 8月2日に、CUENCAという市で行われた8kmのレースに参加しました。
スタート前の様子。
今回は日本人の仲間数名と参加。
走ることが趣味になってしまったエクアドル支部長は、可能な限り大会に出場しています。私の住むRIOBAMBAという市からCUENCAまで、バスで往復12時間。そして、実際に走る時間は30分。なんという効率。「近道だけが人生ではない」と自分に言い聞かせて出場を決意しました。

この大会は、参加者450人程度の小規模な大会。そのため、ちょっと大会運営も大雑把。10時にスタートのはずが、10時半になっても主催者がスタート地点に現れないという事態。あきれを切らした参加者が先導の警察をあおり立て、何がなんだかわからずスタート。
5km付近。
手前から4人目のアゴが上がりきっているアジア人が私。
コースの7割が坂道と言う残酷なコース。完全にへばって29位でゴールイン。スタートがグタグタだったにも関わらず、ゴールしたらみんな笑顔。

なぜか、ゴールすると、めずらしい日本人ランナー達はみんなの人気者。写真をお願いされたり、取材されたり、一瞬芸能人気分を味わうことができました。
子供をかかえてツーショット。
そして、みんなの人気者の日本人達は、大会運営者からもビック待遇。特別室を用意され、お食事までサービス。最終的には大会運営者のご好意で、エクアドルの英雄ジェフェルソンペレスとの30分の対談。

中央にいるのがJefferson perez(ジェフェルソンペレス)

Jefferson perezの現役時代
オリンピックや世界陸上で数々のメダルを獲得した競歩選手。
エクアドルの英雄です。
こんな英雄と出会えたCUENCAのレースは最高でした。「近道だけが人生ではない」って、このことなんだと実感できました。


次回は、このジェフェルソンペレスについてブログを書きたいと思います。

しかし、明日から2週間メキシコ旅行。
2週間後には間違いなくブログ再開するので、また見てください。

2012年9月6日木曜日

クエンカのお菓子

人生初の「食あたり」のため、二日間地獄のような日々を過ごしていたエクアドル支部長。仕事も初の病欠。あんなに辛いものがこの世に存在したとは・・・。その困難を乗り越え、一回り大きくなった、エクアドル支部長30歳です。

先日、エクアドルを代表する観光都市CUENCA(クエンカ)に行きました。そのクエンカで食べたクエンカ名物お菓子が美味しかったので紹介します。

4種類、ドドンと紹介します。
QUESITO(ケシート)
ミルク味の2枚の薄い板の間に、お餅みたいな触感のチーズが挟まれたお菓子。それほど甘くなく、何個でも食べれてしまいそう。クエンカでもっとも見かけるお菓子。

MONGITAS(モンヒータス)
中央に3つある、バネみたいな形のお菓子がモンヒータス。これもミルク味。モンヒータスの意味は「修道院ちゃん」。なぜ、その名前が付いているのかはクエンカ人も知りません。
CARACOL(カラコル)
意味はカタツムリ。この名前は納得。パイのような生地の中にはカスタードクリームがたっぷり。濃いめの珈琲との相性抜群。

QUESADIYA(ケサディージャ)
小さなチーズケーキ。甘すぎずおいしい。クッキーみたい大きさなので、ついつい食べ過ぎてしまう危険なお菓子。

では、恒例のエクアドル支部長の勝手にランキング。

1位、QUESADIYA。
2位、CARACOL。
3位、QUESITO。
4位、MONGITAS。

どれもクエンカ名物だけあっておいしっかです。しかし、MONGITASが最下位の理由は「名前の由来が不明」ということです。修道院ちゃん、ごめんなさい。

2012年9月4日火曜日

エクアドルの家の売り方

エクアドルの家の売り方は非常に大胆です。
SE VENDE ESTA CASA
「この家売ってます。」

店の看板より目立ってます。
不動産屋を通さずに、家主が自分の電話番号を載せて、直接販売です。そもそも不動産屋が存在するのでしょうか???

車もバスもすべてこの売り方です。そもそも、日本では、電話番号を不特定多数の人に教えることは考えられません。でも、エクアドルではありなんです。

そのため、エクアドルでは個人情報保護に対する意識が大変低いです。他人の電話番号も、許可を取らずに簡単に見ず知らずの人に教えたりします。しかし、それによって事件が起きたという情報は聞いたことがありません。

この文化が成り立つのですから、逆にすごい国だと思います。